きっかけは、娘が言った
「あたし、矢上高校に行きたい!」
という一言でした。
娘は生まれつき脳の病気があり、ADHDを合わせ持つという…唯一無二の個性的な存在。
小さい頃から自然観察が好きで、将来は農業をしたいとずっと言っていた。
正直に言えば、当時の私はボロボロ。
多額の借金、離婚、追い打ちをかけるようにコロナで失業。「あぁ、私の人生終わったわ……」なんて思いながら…
でも!娘を島根県の公立高校の農業コースに入学させるために、相棒のグリーンのミラジーノに荷物を積み込んで、冬の中国道を西に向かってひた走りました。
着地したのは、築50年、六畳二間の町営住宅。
貧しさを絵にかいたような暮らしでしたが、役場の人も、隣の人も、新しい職場の人たちも、ほわ~として、なんとなく癒されたのでした。
そして、娘が通い出した矢上高校にも、素晴らしい先生たちがいました。
小学生の頃はいじめられたり、不登校気味で、低空飛行し続けた彼女が、
先生方に温かく導かれ、土に触れるうちに、どんどん強くなっていった。
気づけば、農業鑑定競技全国大会(農業の甲子園みたいなやつ!)で
3年連続出場&優秀賞!
「土と、良い出会いには、いのちを立て直す力があるんだ」
娘の姿が、ボロボロだった私の背中をシャキッとさせてくれました。
「私も、娘と一緒に...土と一緒に生きていこう。」
運よく近所のおじちゃんに声を掛けられ、普段は、農業法人で雇って頂き、ぶどうの勉強しながら、お世話することになった。
そして、すき間の休みは、自分たちの1.5反の畑を耕すことに。
どん底からのミラジーノでの旅は、今は「大田屋」の物語へ。
家を購入したときに、二つのさびれたものがついてきました。
ひとつは耕作放棄地。もう何年耕していないかわからないくらい。
もう一つは屋号。現代人の多くは、「え?屋号って何?」という感じでしょうが
ここいらあたりはみんな日野原さんなので、家に名前をつけるわけですね。それが大田屋でした。
自分もさびれた存在だったからでしょうか...このふたつを「なんとかしなくっちゃ」という妙な使命感と愛着を持ってしまったのでした。
その日から、一人で1.5反の畑の草刈りが始まりました。
新たな相棒はコメリで勝った安価な刈り払い機。途中、故障しながらも、自前で修理を重ね、よく頑張ってくれました!今も現役です。
私の身長より高いセイタカアワダチソウを刈り倒し、深く根を張るススキを引っこ抜き…雑木を何本切ったか、分かりません。
そうして、迎えた初めての春、わくわくしながら、あれこれたくさん苗を植えました。
でも、全部枯れました。
昨日まで青々としていたのに、朝、畑に行ってみると、元気がない。土を掘っ繰り返してみると、ごろんと夜盗虫(ヨトウムシ)が出てきたりしました。
大田屋の1年目は全滅でした。
大田屋のロゴは青い薔薇に蝶々がとまっている様子です。
娘が作ってくれました。
青い薔薇は自然界に存在せず、作ることは難しいとされていました。ですから、その花言葉は「impossible(不可能)」でした。
けれど、あきらめない人たちの情熱によって青い薔薇は誕生し、今は「Dreams come true(夢叶う)」という花言葉に変わりました。
「もうダメかもしれない」と思った夜も、
「何をやってもうまくいかない」と泣いた夏も、
この青い薔薇は、その先に待っているものたちを私に思い起こさせ続けてくれました。
今は荒れ果てた畑でも、必ずいつかは野菜や果物が実るはず。
ここで実るモノたちが、誰かの「夢」や「希望」になりますように—
私たちを癒して、強くしてくれた自然の力で、安心して食べられる美味しい力強い野菜や果物を…作りたい!それが大田屋の夢です。